京都精華大教授で学長も務めた漫画家の竹宮惠子さんがこのほど、京都市左京区の同大学で最終講義をした。演題に選んだのは、25歳の時に発表した短編「扉はひらく いくたびも」のタイトル。「扉とは思いがけないものを見せたり、出合わせたりしてくれる存在。たくさん考えて、扉に向かってほしい」と学生たちに呼び掛けた。
竹宮さんは1950年徳島市生まれ。17歳で漫画雑誌「COM」の月例新人賞で佳作入選し、SFや少年同士の愛などをテーマに、五十年余にわたって延べ180の作品を発表してきた。2000年に京都精華大のマンガ学科開設に伴い、教授として教壇に立った。08年にマンガ学部長、14年に学長に就任した。20年3月末日で定年退職を迎える。
最終講義の演題に「扉」を選んだのは、二つの意味があるとした。まず、貝や虫、本など、幼い頃から閉じたり開いたりするものが好きだったから。そして、人生で起きる節目は「扉」で「思いがけないものを見せてくれる存在」と考えているから。
竹宮さんは、これまでの人生を「扉の連続だった」と振り返った。中学生の頃、人の表裏に興味を持ち、「違う人になって冒険したい」との思うようになった。「高校生の時にお芝居をすれば自分が違う人になれると思いましたが、うまくいきませんでした。次に考えたのが漫画を描くこと。大学時代に漫画家になることを決め、扉を開きました」
家族の元を離れ、出版社がある東京へ。自分で何事も決める日々に孤独を感じ、萩尾望都さんら漫画家と共同生活を始めた。少女漫画に革命を起こそうとの思いを抱いた漫画家たちが集まり、2人が住んだアパートは「大泉サロン」と呼ばれた。だが共同生活は2年で終わる。終止符を打ったのは、竹宮さんだった。
「作家として自立できていないと感じ、志を同じくする友人たちと別れる決心をしました。扉を開けて出て行き、それを閉じる。閉じるとは、怒ったり拒否したりするときにします。でも、そうではない閉じ方もあると信じて、自分を慰めました」
80年に「風と木の詩」「地球へ…」で小学館漫画賞を受賞。自分の描き方を確立し、漫画を描くのが最も楽しい時期だったという。だが84年、「風と木の詩」の連載を未完のまま終了する。
「当時は松任谷由実さんなど現実の世界を描いた歌が流行していました。1800年代のヨーロッパを舞台にしているような物語は世間に合わなくなり、『終わるべきなんだな』と。新しい扉を開けないと自分は持たない。そんな肌感覚があり、違う形を求めようと思いました」
古典「吾妻鏡(あづまかがみ)」の漫画化や、仏ブランド・エルメスの創業物語を描く「エルメスの道」など、新たな作品を発表した。「エルメスの道」を読んだ牧野圭一さん(京都精華大名誉教授)から「大学で漫画を教えてほしい」と依頼された。「毛色の変わった仕事でしたが、全力で向き合いました。それが大学という次のステージの扉を開くことになりました」
扉を開けること自体は難しくなく、大事なのは開けた後という。「何をするかを考えること」と竹宮さんは指摘する。
「期待と違うことや、方向転換を迫られることもある。そのとき、どう対処するのかが本当の選択です。『こんな障害があった』と逃げることもできますが、何かのせいにした途端、扉を開けたことが終わってしまう。自分の選択の結果だと振り返って考えてほしい。結果が悪くても、『自分で歩いてここまで来た』と受け止める。そうすれば、扉を開けたことは、なかったことになりません」
扉は何度も開き、ときにチャンスにつながるが、捉えられるかどうかは、その人次第だ、とも考える。
「扉を開ける前にいろいろ考えることを提案しますが、考えるがゆえに開けられなくなる学生は多いかもしれません。でもそれは、自分で作る幽霊のようなもので、開けないと真実は分からない。たとえ失敗したり、困ったりしても、必ず何かが得られるはず。私の年齢になれば予測がつきますが、これから枝をどう広げていくか分からない今の時期に、何かを経験してほしいです」
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