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Saturday, May 9, 2020

静岡サッカー王国復活のヒント 山西尊裕さん<上> - 中日新聞

◆挫折こそ飛躍の好機

挫折こそ、飛躍のチャンスと説く山西尊裕さん=浜松市北区で

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 ジュビロ磐田の黄金期を支えた中、試合に出場できなかった最初の二年間の苦しい経験があったからこそ、今の自分があると痛切に感じている。将来のJリーガーを夢見る選手は、挫折こそ、飛躍のチャンスだと思ってほしい。

 清水東高時代、三年連続で国体優勝、さらにU−20(二十歳以下)日本代表に選出され、ワールドユースでベスト8に食い込んだ。一九九五年、ジュビロ磐田に入団した時「高卒選手の中で、一番出番が早いのでは」と期待した。しかし、現実は甘くなかった。磐田で、高卒同期の福西崇史さん(43)=現解説者、清水範久さん(43)=同=は公式戦に出場したが、自分に出番は回ってこなかった。

 二年間で公式戦出場なし。プライドが打ちのめされた。当時の磐田は一軍(トップ)と二軍(サテライト)が明確に分かれ、サテライトはトップに昇格しない限り、公式戦出場はない。「何が足りないか」と自分を見つめ直した。身長一七三センチと小柄で、スピードもない。ただ、小回りの利いた激しい守備に定評があった。「自分の持ち味を伸ばしていくしかない」と練習に励んだ。

 三年目の九七年。当時のフェリペ監督(元ブラジル代表監督)に、守備を買われて、先発出場をつかみ、鹿島アントラーズとのチャンピオンシップにも出場した。九七年から二〇〇三年ごろまでの磐田は日本代表がずらりと顔をそろえていた。選手層が厚く、ちょっと油断すれば、ベンチ外になるほどの厳しさ。そんな中、サイドバックのほか、センターバックもこなすことができるようになり、〇二年の完全優勝も主力として経験した。

 現在の大学生に求めることは、適切な自己評価ができること。そこから、チームのために、何ができるかが分かる。常葉大コーチになってから八年目。私は大学生に、下積みから得た財産の大切さを説いている。

 <やまにし・たかひろ> 1976年4月2日、静岡市清水区出身の44歳。清水東高時代は3年連続で国体優勝。左利き。守備的MF、サイドバック、センターバックと、守備的なポジションなら、どこでもこなす。W杯日本代表のFW西沢明訓(あきのり)さんとは清水東高の同期。磐田と清水エスパルスで、J1通算222試合出場。

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