コロナによる度重なる緊急事態宣言の発令は、まるで終わりの見えないトンネルの中にいるようである。だが、偉人の生涯をみると、予期せぬ逆境が降りかかったときにこそ、創造的な思考を養っていた。近著に『偉人名言迷言事典』がある著述家の真山知幸氏が、このゴールデンウイークを「創造的休暇」として過ごすためのヒントを、偉人たちのエピソードから紹介する。 【写真】「創造的休暇」を過ごしたニュートン
* * * 今回のコロナ禍で思わぬ脚光を浴びた偉人が、アイザック・ニュートンである。 注目されたのは、ニュートンもまた私たちと同じく感染症の影響で生活が大きく変わったが、いわゆる自粛期間中に、とてつもない偉業を成し遂げたからだ。
ペスト禍で偉業を成し遂げたニュートン
ニュートンの場合は、感染症ペストが猛威を振るい、通学していたケンブリッジ大学が休校。やむなく田舎に帰省したニュートンだったが、退屈でやることがない。ただ本を読み、静かに一人、思考を深めるしかなかった。ニュートンは自身の思考術について、こう語っている。 「集中し、ひたすら努力することだ。私は常に、頭にある問題を考え続けている。はじめはゆっくりと夜が明けるような具合に、答えが少しずつ見え始め、やがて明らかな光になるのだ」 考え抜いた結果、ニュートンは、ペストでやむなく田舎に帰省していた時期に「万有引力の法則」「微積分法」「光学(色彩論)」という3つの大理論の基礎を築くことになる。期間にして、1665年から1666年にかけてのわずか1年半での出来事である。 もし、ペストが流行していなければ、少なくとも、この短期間でこれだけの偉業を成し遂げることは難しかっただろう。感染症という逆境で生まれた時間を「創造的休暇」として生かしたニュートン。「奇跡の1年」といわれる価値ある時期を過ごすことができた。
ニュートンが磨いた「孤独力」とは
そんなニュートンの華々しい活躍の影響で、ある噂が流布されることになる。それは、「父の死後に生まれた男児には超能力がある」というもの。ここには、ニュートンの複雑な家庭環境が影響している。 ニュートンは実の父に会ったことがなかった。生まれる3か月前に死去しているからだ。 思えば、喜劇王のチャップリンも生まれてすぐに離婚したため、母に女手一つで育てられた。発明王のエジソンの場合は、父は健在だったが、小学校中退してからは、母が教師役となり、エジソンを温かく見守っている。偉人の才能を伸ばすのに、母が大きな役割を果たしているケースが少なくない。 だが、ニュートンの場合は、父がいないだけではなく、母が3歳のときに再婚。しかも再婚相手の富裕な司祭バーナバス・スミスのもとへ去っていってしまった。残されたニュートンは祖母のもとで育てられることになる。 幼くして母から引き離されたニュートン。少年時代はふさぎがちで、友達と外で遊ぶこともなかったようだ。孤独な少年はひたすら内省しながら、自然と対峙することになる。自身の少年時代を、ニュートンはこう振り返っている。 「海岸で遊びながら、ほかのものよりすべすべした小石や、きれいな貝殻を探して遊んでいる子どもだ。その向こうで、真実という偉大な海は未知のものとして私の前にずっと横たわっていた」 日々の孤独な自然観察が、ニュートンの科学者としての道を開くこととなった。 ペストによって生まれた予期せぬ空白期間は、大学生になったニュートンを再び、孤独な子供時代へとタイムスリップさせたのではないか。ニュートンはこんな言葉も残している。 「孤独は天才の学校である」 まさに、逆境とは「自分を孤独な場においてくれる」という点で、人生における贅沢な時間といえるのかもしれない。
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