モーハウス社長 光畑由佳さん
子を育てるということは、次の時代をつくること。どんな価値観をもった人間になるかは、子育ての影響が大きい。でも、子どもは一人ひとり個性も成長スピードも違う。もちろん、育てる私たちも。では聞いてみよう。世界をよく知り、がんばって働き、自分らしく伸びやかに生きる女性たちに。子育てで本当に大切なことが見えてくるはずだ。 「子育てワタシ流」写真特集 モーハウス社長 光畑由佳さん
■「自分を自由に」 子連れ出勤も導入、新しい働き方で注目集める
授乳服の製造・販売を手掛ける「モーハウス」(茨城県つくば市)の光畑由佳社長の起業の原点は、外出中に生後1カ月の次女が突然泣き出し、電車内で授乳したときの違和感だ。子育て中でも自分の行動を制限したくない。自分を自由にするために授乳服を作り始め、仕事中も子どものそばにいたいと子連れ出勤を始めた。本人いわく「一番自然でラクな生き方だった」が、これが新しい働き方として注目を集め、多くの女性が働きたいとモーハウスを訪れる。
■起業のきっかけ「JR中央線事件」
お茶の水女子大学(被服学科)を卒業してパルコに就職しました。学生時代から一生仕事は続けたいと思っていましたが、当時の職場でそれは現実的ではありませんでした。結婚を前に書籍編集の会社に転職しました。編集に興味があったのと、いつか子どもができても在宅で続けられると思ったからです。その後27歳で結婚して茨城県つくば市で暮らすようになり、フリーの編集者になりました。それだけでなく、夫の会社の事務を手伝ったり地元の雑誌の編集長をやったり。自分なりに働き方を模索していたのでしょう。 起業のきっかけとなる「事件」が起きたのは、3歳の長女と生後1カ月の次女を連れて、都内を走るJR中央線に乗っていたときのことです。突然、次女が泣き出しました。周りの乗客の視線は私に集中します。母乳をあげれば泣きやむと分かっていました。けれど、車内で授乳するのは勇気がいります。上着で隠したところで、周囲の乗客たちには、私が何をしているか容易に分かるからです。子どもには母乳を飲む権利、母親にはあげる権利があるけれど、公共の場で実践するのはとても難しいと感じました。 それでも、私にはそのとき、次女に授乳したい理由がありました。長女は生まれてしばらくNICU(新生児集中治療室)に入っていました。毎日、搾乳して病院に持っていきましたが、搾乳できない日もあり母乳が止まってしまいました。長女も私の胸にうまく吸い付いてくれず、あっさり母乳育児を諦めてしまったのです。だから次女の時には、「母乳をあげ続けないと止まってしまう」という不安が常にあったのです。そういうわけで、私は電車内で授乳することにしました。居合わせたビジネスパーソンらはきっと、職場に戻ったら同僚に「俺、さっき電車ですごいもの見ちゃった」などと話すのでしょう。そんなことが気になってしまい、授乳をしながら、とても居心地が悪いと感じました。
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