これも時代の移り変わりか。中日の現役時代に燃える男で知られ、監督としては中日で2度、阪神で一度、リーグ制覇を果たし、楽天を初の日本一に導いた名将、星野仙一氏のゆかりの品々を展示してきた岡山県倉敷市の「星野仙一記念館」が11月30日、閉館となった。最終日には、200人ものファンが訪れて、閉館を惜しんだ。13年8か月続いた記念館はなぜ閉館したのか、そして記念館が伝え続けてきたものは何なのか。最後の1日を追いかけた。
「星野仙一記念館」は、星野氏の生まれ故郷である倉敷の地に2008年3月に開館した。当時の星野氏は阪神のSDで、北京五輪に挑む日本代表監督だった年だ。倉敷市きっての観光地である「美観地区」のど真ん中。白壁の歴史的建築物と柳の並木が美しい同地区には、日本で最初の私設西洋美術館となった大原美術館もそびえている。デニムストリートの一番奥の建物の2階のワンフロアに作られた「星野記念館」は、決して広くはないが、星野氏が年少時代に母親に初めて買ってもらった貴重なグラブなどの野球道具、母校・倉敷商、明治大学、プロ入りした中日の選手、監督時代、阪神、北京五輪の日本代表、楽天の監督時代に着用した全ユニホームなどが所狭しと展示されている。各種の記念サインボール、沢村賞、野球殿堂入りなどの記念レリーフ、著作本からレアな写真、玄関前の銅像などまで合わせると、実に1000点もの所蔵品が集められた。名前が「仙一」だからだろう。 2018年1月に70歳で他界した「燃える男」「闘将」のファンにとっては、ここは聖地。開館からのべ50万人が来館したという。 玄関前の案内看板には「誠に勝手ながら当記念館は11月30日を持ちまして閉館することとなりました。開館以来の多数のご愛顧、誠にありがとうございました」と告知されていた。 最終日となったこの日は平日ながら多くのファンがかけつけ、関係者では倉敷商時代のOB、元監督、倉敷市の伊東香織市長らのVIPに加え、株式会社「星の企画」のスタッフ、元楽天監督で星野氏の教え子だった西武・平石打撃コーチの姿もあった。 今回の閉館は、星野氏のかねてからの友人で長く運営に携わってきた館長の延原敏朗氏(80)が高齢で管理が難しくなったことから苦渋の決断となった。この日、記者会見を行った延原館長は神妙な表情で、「まずは全国の星野仙一ファンの皆様、そして多くの企業のご支援を頂き、本日まで開館できたことを心から感謝いたします」と挨拶し、「私も80歳を超え、1000点にも及ぶ展示品が不慮の事故にあった場合、守ってくれるのはどこか、と考えるようになりました。今年の5月に理事会を開き倉敷市に全部寄贈するのが一番いいと考え、市の方も快くお引き受けくださいました」と、閉館に至った経緯を説明した。
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