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Saturday, June 8, 2024

なぜ小林秀雄は「客観的な歴史」を嫌ったのか:『考へるヒント』の精神史:論壇チャンネルことのは | 論壇チャンネル「ことのは ... - 新潮社 フォーサイト

※シンポジウムの内容をもとに編集・再構成を加えてあります。

小林秀雄の『考へるヒント』は、雑誌連載のエッセイを集めた本だが、連載途中から小林は徳川思想史に傾倒していく。本居宣長や荻生徂徠ら古学の思想家に仮託して、小林は何を訴えようとしたのか。苅部直東京大学教授の著書『小林秀雄の謎を解く:『考へるヒント』の精神史』の刊行を記念したシンポジウムの内容をお届けする。(構成・名古屋剛)

與那覇潤(以下、與那覇) 苅部直先生の『小林秀雄の謎を解く:『考へるヒント』の精神史』(新潮選書)は、文芸評論家の小林秀雄を、日本思想史家として再定義する試みです。

 小林の『考へるヒント』は1959年から高度成長期真っ只中の64年まで連載されました。戦時中には明治大学で日本文化史を教えていた小林は戦後、50年代の後半に起こったいわゆる「昭和史論争」を契機に、当時のことを思い出した。それが『考へるヒント』で、荻生徂徠や本居宣長といった徳川思想史を論じたことの背景にあるというのが、苅部著の重要な史的だと思います。

 すでに文壇のカリスマとなっていた小林は、エッセイ集としての『考へるヒント』文庫版(1974年)のヒットもあり、大学入試の現代文でも長らく定番でした。ところが2000年代に入ると、小林の文章の出題は激減し、急速に忘れさられていきます。

 そもそも小林は戦前、有名な「故郷を失った文学」(1933年)で、いま映画や大衆文学が流行っていても、支持される作品はみんな時代劇だ。同時代を描くものはよくない、と書きました。はるか昔の日本人の姿を描いた作品のほうを、昭和の大衆はむしろリアルに感じる。それくらい、現代は何の輪郭もない社会になっていると小林は言います。

 戦後の『考へるヒント』の連載中にも、小林は「歴史感情」という表現で、重なる主張を展開します。最近の歴史学者の書くものは、勉強にはなるが、「歴史感情」が欠けている。つまり前近代の日本人と今を生きる私たちとはつながっていて、同じ歴史を生きているという感覚が全くない。そんな感情の復元は歴史小説家がやればよく、僕らの仕事は史実の発見のみだと歴史学者が居直るなら、単なる怠慢だとさえ小林は叱責します。

「同じ歴史を生きている」という感覚

與那覇 アンドレ・モーロワというフランスの批評家が、戦前に、『英国史』を書いて、日本の文壇でも流行ったことがありました。小林は1940年にそれを批判する文章でいわく、フランス人が書いたイギリスの歴史を、日本のインテリがこぞって褒めるのはおかしい。そんな奇妙なことが起きる理由は、「歴史感覚」と「歴史解釈」とが分離し、後者ばかりが盛んで前者が衰弱しているからだと小林は指摘しました。

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