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Saturday, February 29, 2020

漫画『100日後に死ぬワニ』と大河『麒麟がくる』に共通する“死生観”(堀井憲一郎) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

漫画『100日後に死ぬワニ』は何を訴えてくるのか

『100日後に死ぬワニ』はツイッターで連日更新されている4コマ漫画である。

ワニ少年の何気ない日常が描かれている。

バイト先の仲間たちに繰り返し「少年」と呼ばれているので、若いのだろう。

就職しなよと勧められていたから、どこにも勤めず、アルバイトで生活しているみたいだ。

特にやりたいことはないが、でも何にでもなれると言われれば「プロゲーマー」になりたいと言っていた。

ふつうの若者である。バイトをして、ラーメンを食べて、ゲームをやって、テレビを見て、こたつにあたっている。バイト先に好きな「センパイ」ワニがいたが、そのバイトは辞めてしまった。

この漫画の連載が始まったのが2019年12月12日。

最初は、テレビを見ているだけの4コマが描かれ,最後に「死ぬまであと99日」と書かれている。

『100日後に死ぬワニ』というタイトルと、漫画ごとに出るカウントダウン「死ぬまであと何日」のふたつ仕掛けによってとにかく気になる漫画になっている。

話題にもなっている。

100日といえば、三か月とちょっとだ。

2019年12月12日を1日目とすると、3月20日が100日目になる。

この3月20日に彼は死ぬんだ、とおもいつつ、毎日の何でもない生活を眺めている。

読者は彼の死期を知っている。彼は自分の死期を知らない。

だから読者だけが胸を乱される。

ワニ少年は、人気のために品切れになり発送が一年後になる通販商品を、頼んでいる。

おもしろい映画を見たあと「続編が作られる」との噂を耳にして、楽しみにしている。

漫画『ワンピース』を読んでおもしろいなと嘆息したあと、結末はどうなるんだろうと想像している。

おそらく彼は、どれにも間に合わない。商品が届くころにはこの世におらず、映画の続編やワンピースの最終話も見ることができない。100日後、3月20日に死ぬなら、どれも間に合わないだろう。

当人が何も気にしてないぶん、心に刺さってくる。

いつ死ぬか知らず、自分の未来を信じているのは、それはまた自分自身の姿でもあるからだ。

「死ぬまでの日数」を明らかにするというだけで、世界はまったく違って見えてくる。

登場人物の死ぬ日がわかっている“神の目”

登場人物の死ぬ日を知っている、という点でいえば、歴史ドラマも同じ構造で作られている。

有名な歴史上の人物は、だいたいその最後は知られている。いつ死ぬかわかっていて、物語は作られ、われわれはそれを見ている。

織田信長は、西暦でいえば1582年、天正10年の6月1日の夜中(6月2日未明)に本能寺で死ぬ。明智光秀は、その十日余りのちに死ぬ。

織田信長も、明智光秀も『天正10年6月に死ぬ武将』である。そのことを承知でドラマ『麒麟がくる』を見ている。

ただ明確に意識しているわけではない。

自分がいつか死ぬとは知っているが、具体的にいつなのかを探ろうとしないように、テレビドラマでも彼らの死の時期を細かく意識していない。

『麒麟が来る』第6話の舞台は天文17年1548年だった。

三好長慶が細川晴元の手下に襲撃され光秀が助けに入っていた。

このとき「光秀が死ぬまであと34年と数ヶ月」である。襲われた三好長慶は永禄7年まで生きるから「長慶が死ぬまであと16年」であり、共に戦った松永久秀は「久秀が死ぬまであと29年」である。

いちいちテロップでそういうのが出ると、ちょっとおもしろいなとおもった。彼らがここで死なないことがその画面でネタバレしてしまうが、でもまあ歴史的事実なのだからそれぐらいはしかたない。あとどれぐらい生きるかがいちいち出てるとおもしろい。(山本直樹の連合赤軍を描いた漫画『RED』では殺される人たちに死ぬ順番に番号を打っていた、とういのをおもいだした)

ただ「あと34年で死ぬ」は長い。

「16年で死ぬ」でも充分長い。

「あと100日で死ぬ」からどきどきするわけで、10年以上生きるとなると、どうでもよくなってしまう。たぶん1年を切らないと、どきどきしないだろう。

向井理が演じる「気になる人物」十三代将軍足利義輝

ただ『麒麟がくる』で私はひとりとても気になる人物がいる。

足利義輝である。

向井理が演じている。

足利幕府の第十三代将軍。

彼は天文5年生まれだから、第6話の天文17年には、まだ12歳で、前年から将軍職に就いている。『麒麟がくる』6話ではあまり12歳には見えなかったが、そのへんは曖昧でいいのだろう。私はべつにかまわない。

彼は永禄8年5月に死ぬ。(もし知らなくてネタバレになったらごめんなさい。でもまあ、歴史事実だから)。

天文17年は1548年。永禄8年は1565年。まだ17年ある(三好長慶の死亡の翌年になる)。

でも、殺される。

将軍でありながら殺される。しかも正面切って攻撃されて殺されるという、日本史上珍しいできごとである。

征夷大将軍が在職中に殺されるというのは稀である。

彼以前に殺された有名な将軍といえば、二人しかおもいうかばない。

鎌倉幕府の三代将軍の源実朝。

室町幕府の六代将軍の足利義教。

実朝は鎌倉八幡宮参宮のおりに甥の公暁に殺された。

義教は義輝の高祖父(祖父の祖父)にあたるが、赤松満佑らによって宴の最中を襲われて殺された。

どちらも暗殺である。不意を打たれて殺された。

足利義輝は、不意を打たれたといえばそうであるが、永禄8年5月、将軍の居場所である二条御所にいるところを武装軍に襲撃された。小さいが戦さである。将軍みずからも刀をとって戦ったが、殺された。(ネタバレになってたらごめん)。

義輝の最期は武士らしく雄々しい。

そのぶん、私としてはどうしても悲劇の将軍に見える。

三好氏や松永氏の力が強く、京都地方やその周辺を支配していた時代である。義輝もさまざまな政治活動を行っているが(その政治活動ゆえに殺されたのだが)、もうしわけないが、とくに印象に残る彼の事績がおもいうかばない。

だからどうしても、足利義輝を見るたび「最後は戦って殺される将軍」としてしか見られないのだ。

ちょっと「あと100日で死ぬワニ」を見るのに近い気分である。申し訳ないとおもうがしかたない。

死に際で覚えられる歴史上の人物と、生前で覚えられる人物の差

おそらくその死に際で覚えられる歴史上の人物と、そうではない人物がいるということなのだろう。坂本龍馬は、かなり死にかたで覚えられているところがある。そういうタイプらしい。

「実際に歴史に残る何をやったか」による差なのかもしれない。

(志半ばだったということなのだろうけど、坂本龍馬は裏で動くちょっとした政治フィクサーであったが、そんなに歴史に名を残すほどの仕事はしてないんじゃないか、と司馬遼太郎を読んでから四十年以上たつとつくづくそうおもう)。

ただ、役者は、それを知らないふりで演じないといけない。

「結末から逆算して演技をするな」と言われる部分である。

光秀役の役者は、ああ、いつかこの人を殺すんだな、とおもって信長役と接してはいけない、ということである。あたりまえですね。でも、やっちゃうんだよ。

それは「役者の身体性」にまかされている。将来のことなどまったくわかっていない、というふりで演じていても、何かしら匂いたつような哀しみや明るさを振りまく役者がいる。それがいい役者である。本人の演じている方向と別の匂いを感じさせれば、とても魅力的に見える。

大河ドラマ『麒麟がくる』の役者をみていると、その「戦国時代らしい身体性」にかなり重きをおいて選んでいるのがわかる。身体性でわくわくさせる人たちを選んでいるようにおもう。なかなか鋭い人選である。(あらためて帰蝶役は、沢尻エリカだったんだな、とおもいだしてしまう)

いかにも「16世紀半ばの“いま”」を生きている気配が横溢としている。そこがこのドラマの初動の魅力であった。

第7話はおそらく天文18年である。

「信長と一緒に帰蝶が死んでしまうまであと33年」(本能寺で死ぬ説を取れば、ですけど)「光秀が死ぬまであと33年」「三好長慶が死ぬまであと15年」「松永久秀が死ぬまであと28年」「将軍義輝が殺されるまであと16年」である。

まだまだ長い。

第7話放送時点の3月1日で、ワニ少年は「死ぬまであと19日」である。

おそらくどちらからも発せられているメッセージは「いまを生きろ」ということなのだろう。

「いまを懸命に生きろ」。

がんばるしかない。

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February 29, 2020 at 07:13PM
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