地元出身で小さい頃から甲子園に
自他ともに認めるマイペース男だ。1位指名を公表していなかった阪神がオリックス、巨人、ソフトバンクに続いて参戦。リモート開催となった新型コロナ禍の異例のドラフトは4球団競合というドラマチックな展開となり、会場の別室でオリックスの福良GM、阪神の矢野監督、ソフトバンクの工藤監督、巨人の原監督の順番でクジを引き始めたが佐藤の表情はピクリとも動かない。矢野監督が「交渉権確定」と書かれた文字を確認し、右手でガッツポーズをした瞬間も冷静に受け止め、こう言葉をつむいだ。 「どこでもプロでやろうと思っていました。タイガースは地元で身近な球団。良かったと思います。阪神に決まった瞬間?”しっかりがんばろう”と思っただけです」 中継映像では矢野監督から熱いメッセージが届いた。 「長打が魅力で身体能力が高い。うちにピッタリの選手。佐藤君、バットで守備で走塁で、子どもたちに夢を与えるようなスケールの大きい選手になってください。早く会いに行きたい」 指揮官の言葉を受け、西宮市出身でもある佐藤は、「小さいころから甲子園に行ってました。今度は地元の子どもたちに来てもらえる選手になりたい。言ってもらったように走攻守でスケールの大きい選手を目指します。矢野監督の現役時代は扇の要という印象。監督としては明るいムードづくりをされている」と答えた。 阪神とは浅からぬ縁があった。甲東小6年のときにはタイガースジュニアに選出。だが、右肘を痛めて活躍の場はなかった。しかも、そのころは野球一筋ではなくサッカーにも魅力を感じる少年。その後、仁川学院に進んだが、最後の夏は兵庫県大会の初戦で敗退。強肩強打の捕手として通算20本塁打を放っていたが「無名の存在だった」と言う。一気に才能が開花したのは、近大進学後である。
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