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Monday, June 12, 2023

大人の学校「社会学級」人生のヒントに、高齢者に講座 戦後全国で ... - 岐阜新聞

消費生活の出前講座に耳を傾ける学級生=大垣市荒尾町、宇留生地区センター

南校下社会学級の活動を伝える1950年3月の「広報おおがき」

 人生100年時代を迎え、元気な高齢者を中心に生涯学習が盛んだ。そんな中、岐阜県大垣市の宇留生(うるう)地区には「社会学級」と呼ばれる地域住民たちの学びの場がある。耳なじみのない名称だが、始まりは70年以上もさかのぼる。歴史をひもとくと、戦後間もないころに国によって全国各地に開設されていた。

 ♪いらないなら 態度でしめそうよ さぁ きっぱり断ろう-。

 「幸せなら手をたたこう」の替え歌が会議室に響く。大垣市荒尾町の宇留生地区センターで、原則、毎月第4月曜日に月例会を開いている宇留生社会学級。この日は、市役所職員を招いた消費者トラブル防止のための講義に、25人ほどが耳を傾けていた。

 「知識を深めるために、20年ぐらい前から参加している」と話すのは大垣市牧野町の男性(82)。現在は、平均年齢70代の40人ほどが在籍する。会費は年間2千円。さまざまな分野の講師を招いた学習会のほか、吹奏楽や落語を聴くこともあり、新型コロナウイルス禍前は研修旅行にも出かけていた。

 社会学級の設立経緯を探ると、県教育史に言及があった。占領政策下で、社会教育行政が全国的に進められ、県内では1947年に、連合国軍総司令部(GHQ)の関連機関の岐阜軍政部に社会教育担当官が赴任して本格化したという。

 宇留生社会学級は2年間の準備期間を経て、49年に開設された。「アメリカが日本に民主主義を広めようとしたんでしょうね」。祖父の代から3代で学級長を務める清水雄二さん(76)=大垣市牧野町=は推察する。

 県教育史には軍政部が県民に次の五つのことを期待したと記されている。①各学校は度々活動的なPTAの会合を開く②県民はできるだけ多くの場所に公民館設立の運動を起こす③青年団体の人々はできるだけ活動的なプログラムを持つ④婦人団体はできるだけ多くのメンバーを集める⑤専門学校、中等学校は学校拡張として成人のための講座を開設する-。こうした方針に基づき社会教育の振興が進められたようだ。

 大垣市史によると、49年に社会教育法が公布され、教育委員会でも社会教育の仕事が進められた。そして、成人学級や婦人学級は発展的に解消し、社会学級が開設。各小学校下の教職関係者、公民館関係者、婦人会、青年団などの各種団体の選挙で委員を選んで運営し、講師は地域の学識経験者や各種団体の幹部が務め、会員の教養や趣味、技術の向上を図ったという。

 市内は全ての小学校区に開設されており、50年3月の「広報おおがき」が南校下社会学級の活動を伝えている。65ほどのクラブが組織され、1枚10円のクラブ券を購入して出席する仕組みだった。写真は当時の読書クラブの様子を掲載していた。

 清水さんによると、昭和40年代までは他校区にもあったが、市内で今も名称を変えることなく残るのは宇留生地区のみという。全国では市が関わり、仙台市や北海道函館市などで「社会学級」の活動が展開されているが、珍しくなっている。

 長く続いている要因について「大人の学校。月に1回会うのが楽しんじゃないのかな」と清水さん。コロナ禍で本年度は4年ぶりに活動を再開したが「みんな学級に出てきてくれた。コロナは心までは奪っていない」と目を細める。「人生のヒントになるように、楽しんで続けていけたら」と話している。

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