昨年4月に獨協医大医学部に入学した柔道女子78キロ超級で18年世界女王の朝比奈沙羅(24=ビッグツリー)は、同じ医師の道を志し順大医学部に合格した19年ラグビーW杯日本代表の福岡堅樹(28=パナソニック)を支えにしていた。
福岡と同じ医者家系の朝比奈は、幼少期から夢が「五輪金メダル」と「医師」になることだった。東京・渋谷教育学園渋谷高から柔道との両立を考慮して、東海大医学部を受験したが不合格。一般受験で体育学部に進学した。体育学部でのラグビー授業を履修した際に、同じ境遇の福岡の存在を知り、受験勉強する上で大きな励みになった。
「当時、柔道界からは『五輪を目指せるのに、なぜよそ見するんだ』と言われ、医学界からは『医学部をなめるな』と、どちらからも辛辣(しんらつ)な言葉を投げかけられ、個人的にもつらい思いをしました。そんな状況で、福岡選手の存在を知れたのは、私にとってすごく心の支えになりました」
競技と勉強の両立で何度も心が折れたが、同じ「日本代表」として活躍する福岡の姿を見て、自身を鼓舞した。19年11月に獨協医大医学部に合格した際にはSNSを通じて、福岡から「しっかりとアスリートとしてやり切って、(医学生の)後輩になれるよう頑張ります!」とのメッセージが届いた。その時、朝比奈は医学部合格がゴールではなく、努力を続けて人々から信頼される立派な医師になることが最終ゴールであることに気づいたという。
現在は、大学がある栃木県を拠点とし、学業と両立しながら柔道の稽古を続けている。東京五輪代表補欠でもあり、「闘う医学生」をスローガンに掲げて“二刀流”を貫いている。
日刊スポーツの東京五輪特集面企画で18年8月に、朝比奈と福岡の対談を群馬県太田市のパナソニックのグラウンドで実施した。2人は取材後に「2年後の20年夏の東京五輪で会いましょう」と、がっちり握手を交わし、再会を誓った。しかし、朝比奈は東京五輪代表を逃し、福岡はコロナ禍の影響で7人制を断念。両者とも、当初の人生プランとは異なる第2の人生を歩み始めた。1年先に医学生となった朝比奈は、福岡が東京五輪代表を断念した際に「近い将来、医者の卵としてお会いできることを心待ちにしています」とメッセージを送っていた。【峯岸佑樹】
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