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Friday, May 17, 2024

<マチムラの記憶>奈良時代の郡役所 高床倉庫群がヒントに | まちの話題 | 佐賀新聞ニュース - 佐賀新聞

調査中の藏上遺跡(中央に見える集落が藏上町。その手前が倉庫群跡)=鳥栖市教育委員会提供

 鳥栖市の藏上町は「蔵の上」と書いて「くらのえ」と呼ばれています。似たような呼び方をする地名に「こうのえ」があり、「神辺」と書きます。神辺の山麓部には古墳群があり、そこには先祖が埋葬されています。先祖の霊は「祖霊神(それいしん)」、その山麓下の地域は「神の辺(へ)り」です。

 奈良時代、日本列島は60余りの国に分けられ、その下に郡があり、役所を置き租税を集め「蔵」に収めていました。現在の藏上町は、奈良時代は養父郡に属していました。そして養父郡の郡役所は、地名から考えて北隣の養父町にあるのでは? とされていました。

 しかし、藏上市街地開発前に行われた埋蔵文化財の発掘調査では、養父町との境界に郡役所の「蔵」と思われる高床倉庫群が出てきました。ということから藏上は「蔵の辺り」で、呼び方は「くらのえ」になったとは考えられないでしょうか?(『鳥栖市誌・第2巻』を参考)(藤瀬禎博・鳥栖郷土研究会会長)

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