〈住人プロフィール〉
会社員・30歳(女性)
賃貸戸建て・1LDK・東京メトロ南北線 白金高輪駅
入居2年・築年数20年・ひとり暮らし
◇
リビングの天井からは、藁(わら)で作ったモビールが下がり、台所には自分でドライフラワーにしたユーカリや赤い唐辛子の素朴なオーナメントがディスプレーされている。
冷蔵庫には、チャレンジ10回目にしてようやくふっくら焼けるようになったというマスカットといちじくのケーキが鎮座していた。
「取材で食べていただこうと思って今朝、焼きました。カロリーを抑えたかったので豆乳クリームで仕上げてみました」
取材で、フィンランドのカクテルの話が出ると、「ちょっと待っててください」とベランダに向かう。クラフトジンに、冷凍していたクランベリーとベランダで育てているローズマリーを沈め、ささっと作ってみせた。
たとえば北欧に魅せられた人の家は、家具や食器などひと目でデザインの影響をみてとれるものだが、彼女の手作りのディスプレーやもてなしからは、デザインだけでなく暮らしの根幹にも、北欧の人々が大事にしているマインドの影響を受けているように感じられた。
大学で移民に関する社会政策を学び、フィンランドに1年留学をした。外国人の学費までなぜ無料にできるのか研究するうち、「いつか学ばせてもらったこの国に恩返しをしたい」と考えるようになったという。
現在、北欧の政府系の仕事に携わる。料理、菓子作りが趣味で、テレワークに入る前までは、弁当を持参するか、職場に近い自宅にいったん食べに帰るほど、自炊を大事にしている。
「いままでいろんな国に長期滞在しましたが、幸いなことにどの国に行っても病気知らずで、通院したことがありません。ひとり暮らしのときから、健康を保つには料理をちゃんとすることだと思い、新卒のときには弁当作りを自分に課しました」
実家の島根の両親は食にこだわるほうだったが、それ以上に祖母の料理が印象的だった。
「食に対する探究心がすごいんです。黒豆をふっくらさせるにはどうしたらいいか、ぼたもちのきなこの配合はこれ、どんこは3日間煮込むとか。差し入れにくるたび、いかに大変だったかをとくとくと説明するんです」
そのおいしさと、熱中する姿が原点にある。料理は楽しいもの、喜びをもたらすものと、無意識のうちにすりこまれた。
もう一つ大きな影響を受けたのは留学時代の学生アパート暮らしと、北欧やアイルランドの人々の暮らしぶりだ。
ないなら作ればいい
「フィンランドのアパートには各国の留学生が住んでいて、みんなでごはんを作って一緒に食べました。フランスの子がクレープを焼いたり、私はお好み焼きを作ったり。なんでもない日でも、手作りの料理でもてなしあうだけで十分楽しいんですよね」
どら焼きは、小豆を煮てあんこを作るところから。焼き上がった素朴な味を、みなとても喜んでくれ、今度は日本の話題に花が咲く。
「北欧は日が暮れるのが早いので、夕方からゆっくりおしゃべりしながら食べるんです。そのゆったりさ加減にも、心を動かされました」
留学生に限らず、北欧の人々は、“なければ自分で作る” “買うよりまず作る”という価値観が、暮らしの前提にある。
その後、アイルランドでしばらく働いたときも同じ精神を感じた。
「お客さんが来たら、ケーキやパンを焼いてもてなす。親から受け継がれたレシピのパンとか、なんでもない料理なんだけど、丁寧な暮らしを重ねていることがよくわかります」
食だけではない。それらの国にはセカンドハンド(中古品)ショップが至るところにあり、物を捨てずに再利用する循環経済が成熟している。1年使ったら店に返しに行く人も多い。祖母から母へ、母から娘へと譲り受けたマリメッコの服を着ている学生も周囲にたくさんいた。
「北欧やアイルランドで、ものは大切に選び最後まで使いきるという価値観の素晴らしさを学びました」
以来、彼女は手芸や菓子作り、楽器を奏でるといった家で楽しむ趣味が増えた。民族音楽用のバイオリンであるフィドル、アコーディオンに似たイングランド発祥の楽器コンサーティーナは生涯続けたい趣味のひとつとのこと。奏でてもらうと、優しくノスタルジックな音色に心がときほぐれるようだった。
冷凍庫には、仕事で北欧に行くと必ず摘むというクランベリーやリンゴンベリーがぎっしり詰まっていた。
ジャムにしたりケーキやカクテルにちょっと添えたりするだけで華やかになるので欠かせない大切な食材だという。
コロナ禍でリモートワークになり、家にこもる日々が続いているが、菓子作り、筋トレ、動画でコンサーティーナの練習をするなど、「やることがたくさんあって退屈しません」。
ベリーひとつで何通りにも楽しめる人だ。さもありなん。
きっと彼女も気づいているだろう。暮らしの楽しみを自分で作り出すという精神は、北欧だけでなく少し前の日本でも当たり前のものだった。きなこの理想的な配合を探求し、どんこを3日間煮込む祖母が、そうであったように。
コロナ禍のような非常時は、心身を健やかにコントロールするのは難しいと思いこんでいたが、身近なところに“快適”のコツはたくさんあるらしい。
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PROFILE
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大平一枝
長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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本城直季(写真)
1978年東京生まれ。現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。
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September 23, 2020 at 09:27AM
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